探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-た-


ダール,フレデリック(Frederic_Dard)

1921年(大10)、フランスのブルギヨン-ジャイユ生まれ。別名フレデリック・シャルル、キル・ヒム、アンドレ・ベルトミュー、カピュト、ランジュ・ノワール。
1949年(昭24)、「Reglez-lui son compte」を発表。
1955年(昭30)、「悪者は地獄へ行け」を発表し、本格デビューに至る。
1956年(昭31)、「甦る旋律」で冒険小説大賞を受賞。
サン・アントニオ名義でも有名なベストセラー作家だが、言葉遊びが連発するユーモア小説で翻訳が困難。
2000年(平12)、心臓病のため死去。

幻影城掲載誌:22/


高木彬光(たかぎ・あきみつ)

本名高木誠一。1920年(大9)、青森市生まれ。母が未入籍だったため、私生児として生まれる。叔父は詩人の高木恭造。占いにも造詣が深い。別名鉄仮面。
京都帝大薬学科から工学部治金学科卒。中島飛行機会社技師。
1947年(昭22)、二人の易者に中里介山に骨相が似ているからという理由で、小説を書けと勧められ、藁半紙に一気に書きつづった「刺青殺人事件」を、1948年(昭23)に江戸川乱歩の世話によって「宝石選書」第一編として発表。この作品は、1949年(昭24)、第2回探偵作家クラブ賞長編賞の候補作となる。のちに、1953年(昭28)、改稿版を春陽堂書店より出版。日本屈指の名作として名高い。
1948年(昭23)、「ロック」の第一回懸賞探偵小説に「白雪姫」が選外佳作となる。このとき、鮎川哲也が薔薇小路棘麿名義で「蛇と猪」が次点入選となる。
1948年(昭23)、「探偵小説新人会」を木彬光、香山滋山田風太郎島田一男岩田賛楠田匡介らが結成。
1949年(昭24)、「宝石」に発表した「能面殺人事件」が、1950年(昭25)、第3回探偵作家クラブ賞を受賞。
1949年(昭24)、「探偵作家クラブ新春の例会」で犯人当て小説の出題として「妖婦の宿」を発表。誰も当てられないと自信があったが、千代有三に当てられ、賞品の鶏を逃がす。「妖婦の宿」は「宝石」に掲載され、1950年(昭25)に第3回探偵作家クラブ短編賞候補となった。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1949年(昭24)、探偵作家クラブ二代目書記長に就任。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、本格派の急先鋒として活躍した。特に大坪砂男とは犬猿の仲となり、「抜き打ち座談会」直後、大坪砂男の作品を燃やして入浴したという。
1950年(昭25)、香山滋、山田風太郎、島田一男、高木彬光、三橋一夫武田武彦香住春作島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
1950年(昭25)に「週刊朝日」に発表した「影なき女」が、1951年(昭26)に第4回探偵作家クラブ賞短編賞の候補となった。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1951年(昭26)に「宝石」に発表した「わが一高時代の犯罪」が1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1952年(昭27)に関西探偵作家クラブ会報「KTSC」誌上で大坪砂男と覆面子“魔童子”のあいだで論争が起こったが、魔童子の正体は、高木彬光と山田風太郎だった。
1952年(昭27)、「小説公園」に発表した「殺意」が1953年(昭28)に第6回探偵作家クラブ賞の候補となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1953年(昭28)に「キング」に発表した「無名の手紙」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。また、1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1954年(昭29)に「宝石」に発表した「塔の判官」が1955年(昭30)に第8回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「小説公園」に発表した「死せる者よみがへれ」が、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「蛇の環」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1955年(昭30)に刊行した「人形はなぜ殺される」が、「死せる者の戯れ」とともに1956年(昭31)に第9回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1957年(昭32)、故坂口安吾の未完作「樹のごときもの歩く」の後半解決部を書き次ぎ、「宝石」に発表。
1957年(昭32)に「オール読物」に発表した「白魔の歌」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、「成吉思汗の秘密」を「宝石」に発表。
1958年(昭33)に「オール読物」に発表した「火車立ちぬ」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)、「白昼の死角」を「黄金の死角」という題で「週間スリラー」で発表。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「目撃者」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1960年(昭35)に「週刊朝日別冊」に発表した「朱の奇跡」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「破戒裁判」を刊行。
1961年(昭36)に刊行した「誘拐」が「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで2位に選ばれている。 1961年(昭36)に「ヒッチコック・マガジン」に発表した「家探し」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「鎖の環」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1967年(昭42)、「黒白の囮」を刊行。
1966年(昭41)に「小説現代」に発表した「弾道の迷路」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説現代」に発表した「かまきりの情熱」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1971年(昭46)、「帝国の死角・第一部・天皇の密使」を「小説宝石」に発表。
1971年(昭46)に「別冊小説宝石」に発表した「飲醤志願」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1973年(昭48)、「邪馬台国の秘密」を刊行。
1976年(昭51)、「大東京四谷怪談」を刊行。
1977年(昭52)に「野性時代」に発表した「観音江戸を救う」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和53年度」に収録される。
1978年(昭53)に「野性時代」に発表した「毒婦の皮」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和54年度」に収録される。
1979年(昭54)、脳梗塞のため入院。
トリック重視の本格物のほか、歴史ミステリ、法廷物など、作品の幅は広い。
江戸川乱歩は、香山滋、島田一男、山田風太郎、高木彬光、大坪砂男を戦後派五人男と呼んだ。
1995年(平7)、死去。

幻影城掲載誌:7/14/19/25/別冊幻影城掲載誌:1/7/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/

雑文:「刺青殺人事件」はなぜ改稿されたか


高橋鐵(たかはし・てつ)

本名高橋鉄次郎。1907年(明40)、東京生まれ。日本大学芸術心理学科卒。性科学者でもある。カルピスの宣伝部に勤務していたときには、「カルピスは恋の味」というコマーシャルを制作した。
1937年(昭12)、「怪船人魚号」を「オール読物」に発表。
1939年(昭14)、「人生レイアウト」が発禁となる。
1940年(昭15)、「オール読物」に発表した「太古の血」がある文学賞受賞寸前までいったが、憲兵隊や文部省の横槍がはいり、筆を折ってしまった。しかし、一説にはそうした事実はないともいわれる。
1940年(昭15)、大政翼賛会に加入。
1941年(昭16)、トンボ鉛筆の新聞広告「太平洋へ一線を引け」で、商工大臣賞を受賞。
1941年(昭16)、生活意識調査のための団体を設立。
1945年(昭20)、戦時報道班員となる。
1950年(昭25)、日本生活心理学会を設立し、性科学を研究する。
1954年(昭29)、「セイシン・リポート」にて歌麿の浮世絵「願いの糸口」を復刻したのが原因で保留処分となり、1958年(昭33)に八王子医療刑務所に拘禁される。1963年(昭38)には第一審有罪判決。1970年(昭45)には最高裁から罰金刑を命じられる。
1971年(昭46)、肝硬変のため死去。それに伴い、日本生活心理学会は解散した。

幻影城掲載誌:1/8/


高橋秀博(たかはし・ひでひろ)

1953年(昭28)生まれ。
1972年(昭47)、法政大学推理小説研究会を創設。
幻影城」ファンクラブ「怪の会」を結成。

幻影城掲載誌:2/4/9/11/12/13/14/15/18/


高橋泰邦(たかはし・やすくに)

1925年(大14)、東京生まれ。早稲田大学理工学部中退。他殺クラブ会員。ゴルフの会の「蟻這会」会員。
1951年(昭26)、NHK芸術祭参加懸賞放送劇佳作入選。
1954年(昭29)、講談社百万円懸賞小説佳作入選。
1959年(昭34)、「殉職」を「別冊クイーン・マガジン」に掲載。
1970年(昭45)に「サンデー毎日」に発表された「偽りの晴れ間」が、1971年(昭46)に第24回日本推理作家協会賞の候補となる。
1971年(昭46)に刊行した「軍艦泥棒」が1972年(昭47)、第25回日本推理作家協会賞の候補となる。
スレッサーマクベインなどの翻訳がある。

日本長編推理小説ベスト99/


高羽融二(たかは・ゆうじ)

1954年(昭29)、東京都生まれ。
1978年(昭53)、「幻影城」第三回新人賞小説部門に「異次元の構図」が佳作入選。

幻影城掲載誌:40/41/


高原弘吉(たかはら・こうきち)

1916年(大5)、福岡県直方市生まれ。ゴルフの会の「蟻這会」会員。サンデー毎日大衆文芸、小説新潮賞、講談倶楽部賞佳作入選の経験がある。
1960年(昭35)、「週刊朝日」「宝石」共催の懸賞に「燃える軍港」が佳作となり、「宝石」に掲載。
1962年(昭37)、第1回オール読物推理小説新人賞に「あるスカウトの死」が受賞。同時に1962年(昭37)に第45回直木賞候補となる。
2002年(平14)、肺炎のため死去。

幻影城掲載誌:21/日本長編推理小説ベスト99/


鷹見緋沙子(たかみ・ひさこ)

天藤真大谷羊太郎草野唯雄が共同でつくった覆面作家。ディレクターは、中島河太郎
1975年(昭50)に「わが師はサタン」(天藤真)、「死体は二度消えた」(大谷羊太郎)、「最優秀犯罪賞」(草野唯雄)を発表。
1980年(昭55)以後の作品は大谷羊太郎が執筆した。


多岐川恭(たきがわ・きょう)

本名松尾舜吉。1920年(大9)、北九州市八幡区生まれ。東京大学経済学部卒。探偵作家のゴルフの会の「蟻這会」代表。幾瀬勝彬は弟子。
福岡県立第七高校時代には、校友会誌に「草」を発表。
1953年(昭28)、白家太郎名義で、「みかん山」が「宝石」懸賞の佳作に入選し、「別冊宝石」に掲載。
1956年(昭31)、宝石賞に白家太郎名義の「落ちる」が2位入選、また「黄色い道しるべ」が上位佳作入選し、「宝石」に掲載。
1956年(昭31)、河出書房が「探偵小説名作全集」で新人の書き下ろし長編を募集し、「氷柱」が次席入選したが、河出書房の操業停止のため中断。1958年(昭33)に河出書房が復活した際、「氷柱」が刊行される。そのときに筆名を改める。なお、「氷柱」は1958年(昭33)の第39回直木賞候補作となる。
1958年(昭33)、「濡れた心」が第四回江戸川乱歩賞を受賞。
1958年(昭33)に第40回直木賞を「落ちる」(1958年(昭33)宝石)「笑う男」(1956年(昭31)宝石)、「ある脅迫」(1958年(昭33)宝石)で受賞。「ある脅迫」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生樹下太郎佐野洋竹村直伸星新一水上勉結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成。
1959年(昭34)、「かわいい女」が第12回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1959年(昭34)に「小説新潮」に発表した「二夜の女」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1960年(昭35)に「オール読物」に発表した「奇妙なさすらい」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に刊行した「異郷の帆」が、1962年(昭37)に第15回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。また、この作品は「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで9位に選ばれている。
1961年(昭36)に「別冊小説新潮」に発表した「吉凶」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「別冊文藝春秋」に発表した「俘虜コーエン」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「新入り」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和39年度」に収録される。
1963年(昭38)に「小説現代」に発表した「からす」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「汐が満ちて…」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説現代」に発表した「頭の中の町」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1965年(昭40)に刊行した「墓場への持参金」が、1966年(昭41)に第19回日本推理作家協会賞の候補となる。
1966年(昭41)に「オール読物」に発表した「殺人のための音楽」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説現代」に発表した「冷い陽炎」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1968年(昭43)に「推理界」に発表した「許された日々」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「小説現代」に発表した「東海道島田宿」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和44年度」に収録される。
1969年(昭44)、「ゆっくり雨太郎捕物控」(週刊新潮)が第22回日本推理作家協会賞の候補となる。
1976(昭51)に「小説新潮」に発表した「夫の首」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和52年度」に収録される。
1977年(昭52)に「小説推理」に発表した「闇の人力車」が1978年(昭53)に第31回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1984(昭59)に「小説宝石」に発表した「欺し欺され」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1985年(昭60)に「別冊小説宝石」に発表した「三島の小宿」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1989年(平1)、紫綬褒章授与。
1994年(平6)、脳梗塞のため死去。

幻影城掲載誌:7/23/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/


滝川秀人(たきかわ・ひでと)

1950年(昭25)、岩手県生まれ。
1978年(昭53)、「幻影城」第三回新人賞評論部門に「シァーロク・ホウムズの呪術」が佳作入選。

幻影城掲載誌:38/41/43/


武田武彦(たけだ・たけひこ)

1919年(大8)、東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。別名蘭妖子。
詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいになり、詩の雑誌を出したいと相談を受けたので、探偵小説の雑誌を提案。詩の関係で交際があった城昌幸を編集長として、1946年(昭21)、「宝石」を創刊。編集に携わる。
1946年(昭21)、「とむらひ饅頭」を「宝石」に発表。
1948年(昭23)から「宝石」の編集長を勤める。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、香山滋山田風太郎島田一男高木彬光三橋一夫、武田武彦、香住春作島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
また、江戸川乱歩の大人向け通俗小説を子供向けにリライトを手がける。
1998年(平10)、死去。


竹中英太郎(たけなか・えいたろう)

1906年(明39)、福岡県生まれ。白井喬二の紹介で博文館の挿絵画家となる。息子は竹中労で、晩年には竹中労の著作の装丁を手がける。
江戸川乱歩の「陰獣」や横溝正史の「鬼火」、大下宇陀児の「魔人」など、松野一夫とならび、「新青年」の代表的な怪奇小説の挿絵画家として活躍。
1988年(昭63)、死去。 1991年(平3)、息子の竹中労によって編まれた「百怪、我ガ腸ニ入ル-竹中英太郎作品譜」が第44回日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞。

幻影城掲載誌:43/


竹村直伸(たけむら・なおのぶ)

1921年(大10)、千葉市生まれ。中央大学法学部卒。
1958年(昭33)、「風の便り」が「宝石」の懸賞第一席となり、「別冊宝石」に掲載。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生樹下太郎佐野洋星新一水上勉結城昌治とともに「他殺クラブ」を結成。
1959年(昭34)、「宝石」に「タロの死」、「似合わない指輪」、「霧の中で」の三篇が同時に掲載される。
1960年(昭35)に「ヒッチコック・マガジン」に発表した「狂気」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。

幻影城掲載誌:50/


竹本健治(たけもと・けんじ)

1954年(昭29)、兵庫県相生市生まれ。東洋大学文学部哲学科中退。同人誌に発表した「夜は訪れぬうちに闇」が中井英夫の注目を受け、デビューに至る。
1975年(昭50)、同人誌「緑葬館」を創刊。
1977年(昭52)、「匣の中の失楽」を「幻影城」に発表。さらにこの作品は1979年(昭54)、第32回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1979年(昭54)、「幻影城」休刊とともに、「偶という名の惨劇」の原稿が失われる。
1988年(昭63)、「小説奇想天外」に連載した「ウロボロスの偽書」は同誌廃刊後、1991年(平3)に刊行され、「このミステリーがすごい!」92年度版の10位に、また、「週刊文春」の91年「傑作ミステリーベスト10」の6位に選ばれる。
1999年(平11)、「入神」を発表し、マンガ家デビューを果たす。

幻影城掲載誌:28/29/30/31/32/33/34/35/36/37/40/43/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ノベルス/


他殺クラブ(たさつくらぶ)

1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生樹下太郎佐野洋竹村直伸星新一水上勉結城昌治とともに結成した探偵作家の親睦団体。第一回会合は佐野洋の提唱で新宿風月堂にて開かれた。その後、笹沢左保大藪春彦新章文子都筑道夫高橋泰邦三好徹生島治郎梶山季之戸川昌子佐賀潜など当時の新鋭作家が加盟した。しかし、大藪春彦が「街が眠るとき」「火制地帯」で盗作の疑いをかけられ、脱退。また、人数が増えるにしたがって、雑談会的な性格が強くなり、離散者が多くなった。 最後の頃に幹事役を務めていた佐賀潜が1970年(昭45)に死去すると、他殺クラブが中心となり葬儀を営み、それを最後に自然消滅した。また、他殺クラブに所属していない新鋭作家が結成した団体に「不在クラブ」がある。


多々羅四郎(たたら・しろう)

生年経歴一切不明だが、本名は大内兆だと思われる。1890年(明23)頃生まれたと推測される。
1930年(昭5)、第五回サンデー毎日大衆文芸の懸賞に「口火は燃える」が入選。
1935年(昭10)、春秋社で日本初の長編書き下ろし探偵小説の懸賞が募集され、「臨海荘事件」が二席入選し、1936年(昭11)に刊行。

幻影城掲載誌:32/33/


橘外男(たちばな・そとお)

1894年(明27)、金沢生まれ。群馬県高崎中学校中退。
1918年(大3)、北海道鉄道管理局勤務中、芸妓に迷い、業務上横領罪で受刑。
1922年(大11)、「太陽の沈みゆくとき」を刊行。
1936年(昭11)、「文芸春秋」の実話原稿募集に「酒場ルーレット粉擾記」により入選。
1936年(昭11)、第4回直木賞の候補となる。この時に受賞したのは木々高太郎だった。
1938年(昭13)、「文芸春秋」に発表した「ナリン殿下への回想」により、1938年(昭13)、第7回直木賞受賞。
1940年(昭15)、満州書籍配給会社経理課長となる。また、満影嘱託に就任。
1955年(昭30)、「小説新潮」に掲載した「私は前科者である」で、自分を立ち直らせてくれようとした芸者の苦境を救うために、二十歳のとき、公金横領をして刑務所に入ったことを告白。
エキゾシズムと猟奇趣味が融合した怪奇幻想小説の書き手。
1959年(昭34)、腎臓機能不全症のため、死去。

幻影城掲載誌:8/11/


田中早苗(たなか・さなえ)

1884年(明17)、秋田県生まれ。早稲田大学英文科卒。
1919年(大8)、スティーヴンスンの「漂白の青年」を翻訳。
新青年」初期以来の翻訳家。モリス・ルヴェルを精力的に紹介。
その他、コリンズ「白衣の女」(1921年(大10))、ガボリオ「ルルージュ事件」(1935年(昭10))、「ルコック探偵」(1929年(昭4))、ルルー「オペラ座の怪」などを翻訳。
1945年(昭20)、死去。

幻影城書庫:「誰?

幻影城掲載誌:22/


田中文雄(たなか・ふみお)

1941年(昭16)、東京小石川生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。ワセダ・ミステリ・クラブ出身。東宝にて映画製作に従事。
1963年(昭38)、「キチキチ」を宝石短編賞に応募。
1974年(昭49)、「夏の旅人」がSFマガジンのSF三大コンテストに佳作入選。
1976年(昭51)、滝原滿名義で「幻影城」第一回新人賞小説部門に「さすらい」が佳作入選。
1976年(昭51)、滝原満名義で「幻影城」に「ゲッペルスの潜水艦」を発表。

幻影城掲載誌:8/15/17/24/30/35/38/41/43/45/52/幻影城ノベルス/


田中美代子(たなか・みよこ)

1936年(昭11)生まれ。評論家。
1965年(昭40)、「文学者」に「三島由紀夫小論」を発表。

別冊幻影城掲載誌:8/14/


田中芳樹(たなか・よしき)

1952年(昭27)、熊本市生まれ。学習院大学文学部博士課程卒。
1978年(昭53)、李家豊名義で「緑の草原に…」で「幻影城」の第三回幻影城新人賞小説部門受賞。
1979年(昭54)、「幻影城」休刊と同時に刊行を予定していた「銀河のチェスゲーム」が中絶するが、1982年(昭57)、田中芳樹名義で刊行された「銀河英雄伝説」の母胎となる。なお、この作品は、1988年(昭63)に星雲賞受賞。
1999年(昭11)に「小説新潮」に発表した「黒竜譚異聞」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成12年度」に収録される。

幻影城掲載誌:38/41/43/44/45/46/50/52/幻影城ノベルス/ブラックホール/


谿渓太郎(たに・けいたろう)

本名谷口純平。1924年(大13)生まれ。大阪市生まれ。別名谷口照子。
1949年(昭24)、「東風荘の殺人」が「宝石」懸賞小説募集の短編部門候補となり、「別冊宝石」に掲載。
1951年(昭26)、「悪魔の火焔」が懸賞当選作として「探偵倶楽部」に掲載。

幻影城掲載誌:38/23


谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう)

1886年(明19)、東京生まれ。東京帝国大学国文科中退。実弟は谷崎清二。
1910年(明43)、第二次「新思潮」を創刊し、「刺青」「麒麟」などで耽美主義作家として注目された。
豊かなイマジネーション、絢爛な文体、官能描写などで、独自の領域を開拓した。
探偵小説的作品としては、1911年(明44)、「秘密」を「中央公論」に発表。
1918年(大7)、「人面疽」を「新小説」を発表。
1919年(大8)、「或る少年の怯れ」を「中央公論」に発表。
1920年(大9)、「途上」を「改造」に発表。
1930年(昭5)、佐藤春夫に夫人を譲る。
1931年(昭6)、谷崎潤一郎宅を訪問後、事故死した渡辺温に同情し、「新青年」に「武州公秘話」を発表。
江戸川乱歩にも影響を与え、探偵小説の中興の祖といえる。
1948年(昭23)、朝日文学賞受賞。
1949年(昭23)、文化勲章受賞。
1950年(昭24)に発表した「月と狂言師」は日本文藝家協会の「創作代表選集 4(昭和24年後期)」に収録される。
1957年(昭32)に発表した「老後の春」は日本文藝家協会の「創作代表選集 21(昭和32年後期)」に収録される。
1965年(昭40)、腎不全と心不全により死去。


谷沢永一(たにざわ・えいいち)

1929年(昭4)生まれ。文芸評論家。

別冊幻影城掲載誌:5/


種村季弘(たねむら・すえひろ)

1933年(昭8)、東京都池袋生まれ。東京大学文学部独文科卒。國學院大學文学部教授。独文学者、芸術評論家、近代日本文学評論家、近代日本文学。
1994年(平6)に刊行した「ビンゲンのヒルデガルトの世界」で芸術選奨文部大臣賞、斎藤緑雨賞を受賞。
1999年(平11)に刊行した「種村季弘のネオ・ラビリントス」で、1999年(平11)に第27回泉鏡花文学賞受賞。
2004年(平16)、胃癌にて死去。

別冊幻影城掲載誌:5/


探偵(たんてい)

探偵創刊号表紙1931年(昭6)5月創刊。駿南社発行。創刊号には探偵作家が執筆していたが、徐々に犯罪実話が多くなり、1931年(昭6)12月終刊。1932年(昭7)1月から「犯罪実話」に改題。九鬼紫郎を生み出した。



探偵・映画(たんてい・えいが)

探偵・映画創刊号表紙1927年(昭2)10月創刊。京都探偵趣味の会発行。発行者は小谷源三だが、探偵小説に関係する部分は山下利三郎が編集していた。江戸川乱歩が1926年(大15)に東京に居を移すと共に、「探偵趣味の会」の機関誌「探偵趣味」の発行元が東京の春陽堂に移ったため、関西の会員の拠点となっていた。「映画と探偵」廃刊後の「探偵趣味の会」の推薦雑誌のようになっており、編集も「探偵趣味の会」の同人が中心となっていた。本田緒生、滋岡透(河東茂生)も関わっていた。二号で廃刊したが、1928年(昭3)には同じ顔ぶれで「猟奇」が創刊された。



探偵倶楽部(たんていくらぶ)

探偵倶楽部創刊号表紙1950年(昭25)9月創刊。共栄社発行。最初は「オール読切」の別冊として1950年(昭25)5月に発行された。タイトルも「怪奇探偵クラブ」から、1951年(昭26)から「探偵クラブ」となり、さらに1952年(昭27)から「探偵倶楽部」となった。1959年(昭34)2月、十巻二号で休刊したが、その後も「オール読切」増刊として「耽奇ミステリーよみもの」として続いた。色川武大が編集者として在籍していた。計106冊。



探偵実話(たんていじつわ)

探偵実話創刊号表紙1950年(昭25)12月創刊。世界社発行。最初は1948年(昭23)に創刊された「実話講談の泉」の別冊だった。
当初は犯罪実話に力を注いでおり、探偵小説は少なかった。10号より探偵小説に力を入れるようになった。昭和20年代後半には「宝石」「探偵倶楽部」と並んで覇を競った。読み切り短編などにおける新人起用に特色があった。
1953年(昭28)8月で休刊。
1954年(昭29)1月、世文社より復刊。1962年(昭37)8月、13巻10号で廃刊。計176冊。

幻影城掲載誌:10/



探偵趣味(たんていしゅみ)

探偵趣味廃刊号表紙1925年(大14)9月創刊。探偵趣味の会発行。
江戸川乱歩と大阪毎日新聞記者春日野緑が発起した同人誌。
同人交代で編集にあたり、江戸川乱歩、春日野緑、小酒井不木西田政治甲賀三郎ら11人が当番となり、12月から江戸川乱歩、小酒井不木、甲賀三郎の三人の編集となった。実務は水谷準が担当した。
それまでの探偵雑誌が翻訳中心だったのに対し、創作と評論を主とした。1928年(昭3)9月廃刊。

幻影城掲載誌:23/36/



探偵趣味(たんていしゅみ)

探偵趣味創刊号表紙1931年(昭6)6月創刊。平凡社発行。「江戸川乱歩全集」付録。編集は井上勝喜。巻頭には乱歩の小説「地獄風景」を掲載し、読者からの掌編探偵小説募集もしていた。蘭郁二郎が当選している。
1932年(昭7)5月、全集の完結により、13冊で終了。



探偵趣味の会(たんていしゅみのかい)

1925年(大14)、大阪毎日新聞社会部副部長の春日野緑と、当時同社の広告部にいた江戸川乱歩が相談し、結成。講演、映画の会、課題創作を試み、週刊「サンデー・ニュース」や機関誌「探偵趣味」を発行した。また、1926年(大15)から1929年(昭4)まで年度別傑作選集の「創作探偵小説集」を刊行。横溝正史西田政治が関わっていたほか、山下利三郎甲賀三郎小酒井不木も同人に加わっていた。1926年(大15)には六甲苦楽園で渡瀬淳子一座の探偵ページェントを開催。
江戸川乱歩の上京とともに「探偵趣味」の発行所が大阪のサンデー・ニュース社から東京の春陽堂に移り、会は中絶。探偵小説ファンの親睦団体の第一号である。


探偵春秋(たんていしゅんじゅう)

探偵春秋創刊号表紙1936年(昭11)10月創刊。春秋社発行。
春秋社募集の長編探偵小説出版の際に添付した選評収録の小冊子からはじまった。ヴァン・ダインの「紫館殺人事件」(誘拐殺人事件)、シムノンの「リェージュの踊り子」など翻訳を掲載。また、木々高太郎の「探偵小説芸術論」や甲賀三郎の「探偵小説十講」を掲載し、論争の舞台ともなった。ちなみに募集された懸賞に当選したのは蒼井雄の「船富家の惨劇」である。1937年8月廃刊。全11冊。



探偵小説(たんていしょうせつ)

探偵小説創刊号表紙1931年(昭6)9月創刊。博文館発行。
編集は前半期を延原謙、後半期を横溝正史が担当。
犯罪実話のほか、毎号翻訳の読切長編の探偵小説が掲載。ガボリオの「人か鬼か」(ルルージュ事件)、エラリー・クイーンの「和蘭陀靴の秘密」(「オランダ靴の秘密」)、メースンの「矢の家」、ベントリーの「生ける死美人」(「トレント最後の事件」)、ミルンの「赤屋敷殺人事件(「赤い館の秘密」)、クロフツの「樽」など長編探偵小説を日本初掲載した。江戸川乱歩はこの雑誌で長編翻訳探偵小説のおもしろさを知り、やがて原書を漁るようになった。
1932年(昭7)7月廃刊。計11冊。



探偵小説名作全集(たんていしょうせつめいさくぜんしゅう)

1956年(昭31)5月から12月にかけて河出書房にて刊行。全11巻。
1.江戸川乱歩集(二銭銅貨他八)2.小酒井不木甲賀三郎集(疑問の黒枠・姿なき怪盗)3.大下宇陀児集(鉄の舌・石の下の記録)4.横溝正史集(蝶々殺人事件他二)5.角田喜久雄集(木家の惨劇他二)6.浜尾四郎集(殺人鬼)7.小栗虫太郎集(黒死館殺人事件他二)8.木々高太郎集(人生の阿呆他三)9.坂口安吾蒼井雄集(不連続殺人事件・船富家の惨劇)10.高木彬光集(刺青殺人事件他一)11.短編集(葛山二郎海野十三夢野久作他八)。
ほかに別巻として書き下ろし長編を出すはずだったが、社業不振のため、中止。その際、入選が決定していたのは仁木悦子の「猫は知っていた」である。ちなみに次席には多岐川恭の「氷柱」が、三席には吉野賛十が入選していた。


探偵小説趣味の会(たんていしょうせつしゅみのかい)

1952年(昭27)、和歌山の亀次志の設立した会。


探偵新聞(たんていしんぶん)

1947年(昭22)7月創刊。探偵新聞社発行。タブロイド版4頁新聞。初め句刊で、のち半月刊。
犯罪実話が主。懸賞をおこない、楠田匡介を発掘したほか、中島河太郎が評論「日本探偵小説略史」を執筆していた。1949年(昭24)3月、55号で廃刊。


探偵文学(たんていぶんがく)

探偵文学創刊号表紙1935年(昭10)3月創刊。探偵文学社発行。のちに発禁処分をきっかけとして学芸書院、古今荘に移る。
1934年(昭9)に「ぷろふいる」の寄稿家だった鮫島竜介(野島淳介)、荻一之介らが中心となって創刊した探偵作家新人倶楽部の機関誌「新探偵」だったが、甲賀三郎に代表される本格探偵小説に偏っていたため、のちに評論の中島親、小説の蘭郁二郎らが分派して創刊した。第二号は雑誌として初めて「江戸川乱歩号」と銘打った。
1936年(昭11)12月、21冊で廃刊し、「シュピオ」に引き継がれた。写真は「探偵文学」創刊号表紙。



探偵文芸(たんていぶんげい)

探偵文藝復活号表紙1925年(大14)3月創刊。杢蓮社発行。
秘密探偵雑誌」の改題復活で、創作が多くなり、松本泰が主催。牧逸馬城昌幸を世に送り出す。
1927年(昭2)1月廃刊。計20冊。

幻影城掲載誌:21/



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